阿蘇品 百恵
Asoshina Momoe
Instagram @moa__song

 

Stylist

“ 愛された記憶が私の原動力 ”

 

 

「人が大好き」だったのに、、、

真夜中にどれだけ大きな声で叫んだとしても、
近所迷惑なんてありゃしない。
鹿児島県鹿屋市生まれの私は、
幼少期からダンス、英語、合唱と、習い事ばかりをこなす日々でした。
小学校卒業後、大好きな地元を離れ鹿児島市内の中学校へ入学
初めて見る人の多さと熱気に圧倒された私は、
入学式当日、うまく歩けもしませんでした。
そんな、大自然の中で育った私にとっては毎日が戦場、、、
「学校に行きたくない。」「人に会うのが怖い。」
気がつけば、人に対して臆病になっていました。

 

 

“ 歌って届けたい ”の始まり

環境の変化は、中学3年生の時。
誕生日プレゼントでギターを買ってもらったのがきっかけでした。
ギターにのめり込んだ私は、
これまでの困難や寂しい経験、嬉しい時の感情
想いを元に、一心不乱に歌詞を描き続けた。
何ヶ月もかけて必死に繋いだ歌詞にメロディーをつけてもらい
人生で初めて曲を作った。
そんな、中学卒業式の前日
作った曲をクラス全員の前で披露する機会があった。
曲を披露すると、そこには涙を流して聴いてくれる仲間
「ももと出会えてよかった。」と言ってくれる仲間
「ありがとう」と抱きしめてくれる仲間がいた。
中学校生活の中で、間違いなくこの瞬間が一番嬉しかったことを
今も鮮明に覚えています。

 


 

家族は1番の “ お守り ”

シンガーソングライターとして
本格的に活動したいという想いから通信制の高校へ入学。
毎日、がむしゃらにペンを走らせ、無我夢中で曲を作り続けた。
気がつけば、
路上ライブやライブハウスの出演オファーまで来るようになった。
「ありがとう。」「出会えてよかった。」
そう言葉をかけてくれる人が、どんどん増え、
沢山の人が、私の音楽で笑顔になっていく景色を見た。
“ 人と人との繋がりや出会い ” が
シンガーソングライターとしての私をもっと強くしてくれました。
いつのまにか、会いたい人に会いに行けるようになり
挑戦したいことは、「今」行動に移せるようになった。
「ももなら、大丈夫。」
振り返ると、いつも背中を押してくれたのは家族の存在。
今の私が、“ ユメオイビト “になれたのは、“ 愛された記憶 ” があるから。
そんな私の経験が、活かせる場所を見つけました。

 

 

 

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